甘ったれクリーチャー

甘くて酸っぱい言葉をかましたいお年頃

嬉しくて悲しくて君と踊る

夏が来るといつも聴く曲といえばフジファブリックの「若者のすべて」だ。夏が大嫌いな僕は冒頭の「真夏のピークが去った」のワンフレーズを聴いて夏はよ終われと暑さを呪う。でも夏が終わってしまうとなんだか、惰性でずっと見てた漫画を読み終わってしまったような、別にダメージを食らったわけじゃないんだけど虚無感を感じてしょうがない。ニヒリストを気取る自分が好き。

 

この「若者のすべて」という曲はそんな自分と同じくらい好きだ。曲自体何回聴いたかわからないし、在りし頃の志村正彦さんが気怠げに歌っているPVも穴が開くほど見た。残念ながらこの曲を知ったのは2014年の夏だったので、YouTubeに上がっている動画以外で志村正彦さんがこの曲を歌っている姿見ることはもうできない。でも、僕は何度も何度でも、この曲を思い出しては、古いアルバムを巡るように10代の自分の姿を遠くに見つけ、センチメンタルになる。高校生のとき、夏休みの後半は漠然と時間が過ぎ去っていくことに対して焦燥感を感じ、胸に迫ってくる切なさを噛みしめながら必死に課題の答えを写していた。そして夏休みの終わりには「なんだかんだ楽しかったな」と自分に言い聞かせるが、漫画の世界のような青春を味わえなかったことで心がすりむく。そんな夏の思い出は、色褪せないまま僕の中の永遠のガキンチョさを駆り立てて仕方がない。

 

あれからもう6回目の夏がやってきている。何回目の夏か、もう数えていない頃になっても、この曲を再生したい。

青春コンプレックスとも呼べるみっともない相棒を風化させないで、かつての僕と同じような若者に花火を買ってあげよう。

宿題残したまま

若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込み』読了★★★★★。納得のいかない社会とのズレと、過剰な自意識をメタ認知しながらも変化に向き合う若林のコラム集。大丈夫と言うところから大丈夫が始まる、という文で思わず涙腺が緩んだ。内面を書いてる時に綺麗事を言わないだろう若林のこの文言に救われた人は多いんじゃないだろうか。

つい最近学年がひとつ上の友人Aに進路相談(キャリアって言葉が適切なのかもしれないけど使いたくない)をする機会があった。友人は僕に深く考えず今の課程の方面に進むのはどうかと提案した。僕は高校の頃からの将来の夢がある。でもいきなりその道に進むより他の道で1度色んな体験をしてからという将来設計がぼんやりとあった。まぁ身も蓋もなく言えばいきなり夢を追うだけの覚悟も度胸もなくて、ましてやその理由もなくて、他の分野も経験したって事実が欲しかったのかもしれない。

A「ってか正直、○○系(ぼかしておくが、有名大の学生が結構目指しそうな分野)は向いてないんじゃない?」

傲慢な僕は反射的にムッとする。でもこれは正しいんじゃないかと思える。僕は0から何かを生み出せる人間じゃない。幼少期、周りがレゴで自由にものづくりを楽しんでた時僕は付随の設計図の通りに完成させることに勤しんでいたし、中学時代の美術の時間に至っては風景画以外の絵を描けと言われてもぼんやりと画材を見つめるだけで授業が終了したことがある。極めて頭の回転が速いわけでもカリスマがあるわけでもない。ケチをつけるのは好き。みんなの前に立って行事の運営方針を決める生徒会に対して、「お前ら前に立って乏しいアイデア披露するだけでなんでそんな偉そうな顔できるの?」と感じていた。部活も当然キャプテンなんかじゃない。

そんな僕でも、僕に支えられていると言ってくれる人がいる。頼ってくれる人もいる。大事にしたい。

A曰く僕は「目指してるところは向いている」らしい。じゃなかったら目も当てられない。なんかその分野に失礼な気がしてきた。

レゴが自由じゃないのは今も変わらない。でも自由に生み出さないことが向いている。別に自由にレゴでクルゥイエイティヴゥに遊びたいなんておもっていない。やりたいことは別にある。それで大丈夫だと思った。それが「理由」になった。思い通りに生きられる生き物に変わった。画材はほんとうにそれが要る人に渡そう。他人が0から作ったものにケチをつけよう。ケチの結果、モノが良くなったら、その人は僕が支えたことになる。そのことを分かってくれる人を大事にしたい。

 

レシピを見ずに料理を作りたいかもしれない。

シロクマ

自意識過剰って言葉をよくぶつけられる。自分でもその言葉は的を射ていると感じる。でも自意識過ってことまでは分かってるのに、なんでそれ以上のことはわかってくんねーのかなーって思う。分かってもらえないなーと日々感じてるのは僕だけじゃないはず。真夏の日本に連れてこられたシロクマのような生きづらさを感じる。

 女子と話す時は訴訟起こされるんじゃないかとビクビクするし散髪に行く時も「こんな髪型にしてください」とか、どうせ似合わねーよと言われるのが怖くて頼めない。冷静に考えて訴訟とかされるわけないし、美容師が客にそんな失礼なこと言うわけない。でもそういったアクションを起こす自分をメタ認知すると見てらんない。ってかなんでみんなできるの。僕には分からん。多分僕も他人を分かろうとしてない。でも他人を分かった気になるってこの上なくおこがましい。

これでいい。僕は他者性を汲み取ってるし、向こうからも自意識過剰ってとこまでは分かってもらえてる。

青い車

ユニークでいたいのにユニークなことをアピールしてくる人が苦手、飲み会の同調圧力が苦手、面白くて上手い発言を求められるのが苦手。人の悪口を言いたくないのに言ってると楽しくなっちゃう、オドぜひに出てみたい。自意識過剰だから出てもないのにアンチコメントが怖い。何様のつもり?と聞かれたらほんとに答えられない。遠回りをしても真っ当に生きたい。ただの大学生が青い車で何も怖がらずにおいてきた何かを見に行く紀行。飲み会ハブられても気にしない。

タイトルは青い車だけど夏は嫌い。